皆さんこんにちは☆じへだんママです!
今日はついに…じへだん君の出産エピソードです。
妊娠36週の夜に起きた異変
妊娠初期はつわりに苦しみ、特に歯磨き粉が大敵!
口腔トラブルで親知らずが腫れたりと痛みに耐える日々でしたが、それ以外は順調。
ところが36週の検診で「帝王切開までは安静に」と言われたその日の夜、急な冷や汗とお腹の張り。
病院に連絡すると「子宮が薄くなっていて危険。明日手術にしましょう」と即入院。
翌日、部分麻酔での手術が始まりました。
コロナ禍でマスクをしたまま、気分が悪くなる私。
「赤ちゃんに酸素を送って」と必死に呼吸を続ける中、20分後ついに…
👶「じへだん君誕生!!」
私は意識がもうろうとしながらも、泣き声を聞いて「ようこそ、地上へ」と伝えました。
まさかの搬送
しかしその直後、癒着がひどく手術が長引き、全身麻酔へ。目が覚めたのは手術から1時間後。
大学病院の先生に声を掛けられ
「赤ちゃんの呼吸がうまくいかないため、救急車で大学病院に搬送しますね」
私は虚の中じへだん君を探して、一気に目が覚めました。
体が紫色…。
私はただ「お願いします!」と伝えて、願うしかありませんでした。
えっ、泣いてたよね?なんでなんで??
と頭が真っ白でした。。。
一方、じへパパは急いで大学病院へ駆けつけ、初めての対面姿は、管に繋がれて血色の悪いじへだん君。
「もうダメかもしれない」と絶望的な思いを抱えたそうです。
コロナ禍のため、NICUに入れるのは基本的に母親だけ。
なので、書類を書いてほんの少しの対面をして、あとは私が退院するまでは会いに行くことも出来なかったのです。
私の心配を思い、じへパパは先生に「妻が退院するまでは、状況を連絡してあげてほしい」と頼んでくれました。
山場を越えて
出産から3日後、大学病院から電話が。
「とても頑張ってくれて、山場は越えました!もう大丈夫です!」
その言葉に私は号泣。
一方で「えっ!?山場だったの!?」と驚きも隠せませんでした。
退院までの私は必死に母乳を搾って届け、貧血を改善するために病院食を残さず完食。
先生に頼み込み、5日目で退院させてもらい、ようやくNICUのじへだん君と再会できました。
NICUでの日々
NICUの奥でたくさんの機械につながれた小さな体。
私は涙が止まらず「私がもっと違う選択をしていたら…」と自分を責めました。
毎日通って母乳を届け続ける中、生後8日目に人工呼吸器が外されました。
主治医の説明では
「重症の一過性多呼吸と肺に穴が空いていた。薬の副作用で将来的に障害が残る可能性もある」と。
それでも「生きていてくれるだけで十分!」と心から思えました。
初めてのおうち
1ヶ月後、やっと退院の日。
家に連れて帰ることができた喜びは言葉にできません。
お姉ちゃんが抱っこした時の満面の笑顔は、今でも忘れられない宝物です。
親戚のみんなも友人も、小さなじへだん君を抱きしめてくれて、私たちのこともたくさん励ましてくれて、
これからの不安に立ち向かっていく勇気をもらいました。
こうして、じへだん君は私たち家族の元へやってきてくれました。
今日のじへだん君「療育園の様子」
じへだん君は、今まではプール遊びといえば「水を外にバシャー!」
が定番スタイルだったのに、最近はレベルアップ✨
なんと先生に水をかけるという新技を習得しました!🤣
しかも先生と掛け合いっこまでできるようになって、「おぉ〜成長だ!」
と先生もニコニコだったそうです。
さらに運動会の練習ではリレーにも参加。
みんなが走る中、じへだん君は先生にしっかり抱っこされながら…バトンをガジガジ🐰w
走るより先に「味わう」タイプだったみたい😂
最後まで読んでくださりありがとうございます🌸
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皆さんにとって素敵な一日になりますように♡